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プロフィール ![]() 大阪府在住。レコードの販促紙(編集部)勤務を経て1980年にフリー独立。数多くのラジオ番組(FM/AM/衛星/デジタル)の選曲・構成・DJ、テレビ番組の構成等に携わる他新聞・雑誌への連載や「60年代音楽」等のムックにも参画。ライナーノーツ多数。1980年代ブームの火付け役「ウィ・アー・ザ・エイティーズ」(全7枚)や「マーキュリー60sポップ・コレクション」(全6枚)「A&M Recordsヒストリー100」 (5枚組)「魅惑のゴールデン・ヒット・ポップス 200」(10枚組:ユーキャン)、また往年の関西ロック系名盤の復刻などCDの企画・監修も。趣味は音楽よりも古い(?)「大衆演芸」「大相撲」。大の猫好き♪ミュージックペンクラブ・ジャパン会員。日本ポピュラー音楽学会会員。仕事関連や詳しいプロフ等については公式ブログをご覧下さい。 カテゴリー別 オーディオ♪ (1) コンパクト盤♪ (9) チャリティー♪ (4) ポップス♪ (69) ライナーノーツ♪ (4) 映画♪ (26) 演芸♪ (1) 橋下徹。 (1) 小林万里子♪ (1) 大相撲♪ (4) 追悼。。。 (7) 本♪ (6) 日付別 2012年5月 (6) 2012年4月 (6) 2012年3月 (17) 2012年2月 (9) 2012年1月 (12) 2011年12月 (11) 2011年11月 (9) 2011年10月 (10) 2011年9月 (10) 2011年8月 (7) 2011年7月 (7) 2011年6月 (9) 2011年5月 (8) 2011年4月 (7) 2011年3月 (5) 最近の記事 ブックマーク |
間違いだらけの「孤独の世界」。 2012年5月14日(月) 1時27分更新 - ポップス♪ (前回よりまたまた続く) P.F.スローンといえばバリー・マクガイアが歌って1965年9月25日付で全米No.1になった「明日なき世界(Eve Of Destruction)」が世間的には最大のヒット作ですけど日本においては自らの歌唱による「孤独の世界(From A Distance)」が最高のあれですな。 ジャンプジミー・ウェッブが「P.F.スローンはどこに」(前々回参照♪)てな歌を書くまでに出してた1960年代のソロ・アルバムは1965年9月リリースの「Songs Of Our Times」(Dunhill-50004)、1966年2月リリースの「Twelve More Times」(Dunhill-50007)、そして1968年12月リリースの「Measure For Pleasure」(Atco:SD33-268)の3枚ですけどこの時代のあれはほぼCD化されとります。Atco音源はアルバムそのまんまがCollector’s Choiceから、そしてDunhill音源はBig Beat からファーストの全12曲分+セカンド全12曲中10曲+シングルのみの5曲=27曲という「Here’s Where I Belong:The Best Of The Dunhill Years 195-1967」が2008年に出されてましてこれが先月クリンクから国内仕様で木村ユタカさんの解説付きでお目見えしとります。 「孤独の世界」はセカンド・アルバム収録曲でDunhillにおける3枚目のシングル(Dunhill-4024)としても出されたもののHOT 100入りは叶わず、1966年4月2日付でNo.109に終わってます。にもかかわらず日本でも当時Dunhillと契約してたビクターから発売されました(写真:月刊「ティーンビート」誌1966年7月号で紹介)。というかその前にも1stからの「The Sins Of A Family」(1965.10/2付BB誌No.87/10/9付CB誌No.74)が「大人は知らない」の邦題で発売(ダンヒル・ヒット・シリーズと銘打って)されてたんでそのあれもあったんでしょうね(ジャケット写真を見てもろたらわかりますけど「孤独の世界」の時はもうダンヒル・ヒット・シリーズではなかったですわ)。 しかしこの感じのメロディーはほんま日本人受けしますな。当時一発で虜になってしまいましたわ♪この邦題も良かったかと。「明日なき世界」の作者というあれにあやかってか原題に関係なく‘〜世界’と付けられてわかり易いし曲が醸し出す雰囲気にも合うように思えるし。当時ラジオでもそれなりにかかってたという記憶があります♪残念ながら全国ネットのラジオ局の各ヒット・パレード番組のTop20にランク・インするまでには至ってませんが(私の手持ちの資料をチェックする限り)、当時ビクターさんがこの曲を収めたセカンド・アルバムも「ニュー・フォークの鬼才」(SHP-5558)と邦題を付けて出してくれた(月刊「ティーンビート」誌1966年8月号で紹介)っちゅうことはアルバムのリード曲となったこの「孤独の世界」が全くのハズレやったわけでもないんやろなと。ちなみにシングル「大人は知らない」のジャケットは1stアルバムから、そして2ndアルバムからの「孤独の世界」のジャケットも同じく前の1stからのあれを使っとります(間に合わんかったんか、それともやっぱりこっちの方がええ雰囲気やからかなぁ)。しかもこの「ニュー・フォークの鬼才」のジャケットも1stのあれをまんまつこてます。。。(いやはや)。 で、その後Dunhillが1968年12月20日発売分より旧譜も含めて東芝音楽工業(当時)から出ることになりまして翌1969年9月10日には「孤独の世界」が再発売となり(HR-2346:ジャケットはまたも1stから♪)、今度はオリコン誌でNo.16(22週間チャート・イン。14万枚)、文化放送の「オール・ジャパン・ポップ20」でも同年11月第5週目にNo.4という大ヒットを記録、広く日本国民に親しまれるところとなりました。 ところがそのせいもあってかその頃からポップスを聴き出したお方や後追いの世代がやってはるHP(オールディーズ系も含めて)やブログ、Youtube、はたまた音楽業界人の方々のあれにはどうも正確さを欠くものがあまりにも多いように思えて。。。「孤独の世界」の発売(ヒット)年代が「1969年」「1965年」「1970年」「1973年」。。。も〜ムチャクチャでござりますぅー!花菱アチャコはんもあの世から怒りに来るでー!それに「日本でのみシングル発売」や「アメリカではシングル発売されず」も結構見受けられますわ。もう、ファンとしては情けのぅて情けのぅて。。。メジャーからちゃ〜んと出てるし資料もデータもあるはずやのに。‘東芝時代、日本独自にシングル・カット’という事実だけが独り歩きしてしもてるんやろね。 今回クリンクから国内仕様で出されたCDの原盤ブックレットには日本盤のシングル・ジャケットも掲載されてるんですがそれがまた東芝から再発売されたものを載せてるんでまたまた‘誤解’されてしまいそうやけど。。。2004年に出た「続・僕たちの洋楽ヒットVol.8:’69〜’70」(2004.3/10発売分)には1969年のヒットということで収録されてるけど(実際日本で大ヒットしたのはその年なんで)、解説書にはキチンと1966年のあれこれデータも書かれてるのに、なんでこの曲が1969年として扱われてるのかという説明が無いのはアカン。みなキチンと仕事しよやないの〜! ということで年寄りの愚痴はこれにておしまい。はい、では、まとめとくんで以降、ええ加減なことをあれせんように!(上から目線)。 ◆「孤独の世界」は2枚目のアルバムからの1stシングルで1966年に全米No.109。ほどなくして日本でもビクターから発売(LPも)。ラジオでもそれなりに流れてた。 ◆レーベルの契約先移動で1969年になって東芝音楽工業から日本で再発売(シングル)されてこの時初めて(日本でのみ)大ヒットを記録。 以上!! P.F.スローンはここに♪ 2012年5月11日(金) 1時40分更新 - ポップス♪ (前回より続く) ジミー・ウェッブが書いた「P.F.スローン」での呼びかけ?に応えるかのように当のご本人、P.F.スローンさんが翌1972年にアルバム「Raised On Records」(MUMS:KZ-31260)でシーンに再登場致しました。このMUMSというレーベルからはこの年、アルバート・ハモンドが「カリフォルニアの青い空」をリリースしとりますが翌1973年にはなんと「P.F.スローン」を1971年にシングル発売してた(前回参照)アソシエイションがこの会社に移籍して「Names、Tags、Numbers & Labels」(No.91)という小ヒットを放っております。1960年代には素晴らしいヒット・メイカーやったP.F.スローンはその後どこへ行ったんや〜?と歌ってたアソシエイションが、その歌に呼応?して復活したスローンはんとおんなじレーベルで‘再会’を果たすとは!! なんかヤラセとちゃうかとも思えるほどによう出来たお話ですが、しかしせっかく姿を現したもののアルバムはヒットせず、スローンはんは今度はもっと長〜い期間‘潜伏’してしまうことになります。長髪に髭、いかにも当時のシンガー・ソング・ライター風のいでたちでギターを抱えたスローンはん(写真=LPの裏ジャケットより)のこのアルバムは地味ながらもなかなかにええ仕上がりでした〜〜♪ 参加ミュージシャンもJoe Osborn、Hal Blane、Mike Omartian、James Burton、Ben Benay、Jim Horn、Barry Beckett、Sid Sharp。。。もう溜息が出るほどの名士がズラリ。♪あ〜それなの〜にそれなのに〜♪スローンはんのオリジナル・アルバム(計6枚。うちアナログ時代の分は4枚)の中で現在に至るまでこのアルバムだけがCD化されてないのであります!! 自身の1stアルバムにも収録されていた曲でタートルズが歌ってヒットした「レット・ミー・ビー」(1965年:No.29)やスローンはんにとっては唯一のHot 100チャート・インとなった「シンズ・オブ・ア・ファミリー」(1965:No.87)といったセルフ・カヴァーも収録されてるしバック・メンバーの顔ぶれ等でも‘勝算’はあるかと私は思うんですけどねぇ(個人的に思い入れがかなりあれですのでその辺は。。。)。 しかし実は10年ほど前、某大手レコード会社(仮にソニー・ミュージックとしときまひょか)がシリーズ化してた復刻企画、仮に「洋楽秘宝館」としときまひょか。その一環で出そやないかという話になって。。。私しゃもう夢心地♪この日本で大好きなスローンはんのあのアルバムを世界初CD化出来るのか!!と。担当者はんがMUMS(すでにレーベルは閉鎖)の権利関係をクリアしてくれはりまして(同じ会社のアルバート・ハモンドはすんなり出せてるわけやし)、私が所有するLPはジャケットも美麗なので(カット・アウト盤なので左上部の角がちょこっとあれでしたけどそれぐらいは修正出来るし)、復刻用(スキャンしますねん)に貸出しをしてそれからライナー・ノーツもという段取りで企画は進行し始めたんですが。。。 ある日、担当者はんから「出せなくなりました。。。」と。えっ?権利もいけたしジャケットもあるし一体何があれなん?と。「マスター・テープがないんです。で、うちの会社は‘アナログ起こし’はしないという方針なので」。ここだけのあれなんでヨソには口外せんといて欲しいんですけど古い年代の音源を復刻する場合、マスターがない(紛失or探し出せない)というケースが結構あるんですわ(特にメジャー会社ではない場合とかシングル音源とか)。で、その際には仕方なくアナログ盤を‘コピー’して(とはいえノイズ除去とか音を綺麗にする作業は丁寧に行われますけど)マスター代わりにするわけなんですが私しゃ今思い出しても悔しぃて(泣)。「他社はそういうの普通にやってるのに!何よりも復刻するっちゅうこと自体が大事やろ〜」と。私のLPはアメリカから通販で購入した中古盤でしたけど新品同様で傷も何もなく‘コピー’には最適?やったんですけどその会社の方針とやらに通せんぼされてしまいまして頓挫。。。今もって復刻は未完のまんま(こういうのは今やもう芽瑠璃堂がやるべきでんな♪)。 それより以前の1993年、スローンはんは22年ぶりに新作アルバム「Serenade Of The Seven Sisters」をリリースして2度目の復活を遂げております。日本でも翌1994年6月25日にパイオニアLDCから「明日なき世界」の邦題で日本発売されてますし若い世代にもちょっと再評価の気運が(プロモ来日も果たしてますしね!)というあれやったのにホンマにもう〜〜。 ちなみにLDC盤ではワタクシ、ありがたいことにライナー・ノーツを書かせてもらいました(ポウジーズやヤング・フレッシュ・フェローズら若手のロック・ミュージシャンがサポートしていたので解説には伊藤英嗣さんも参加)。ここでもセルフ・カヴァーが2曲。「明日なき世界」(バリー・マクガイア:1965年No.1=歌詞を一部変更)と「秘密諜報員」(ジョニー・リバース:1966年No.3/ベンチャーズ:1966年No.54)。よろしいな♪しかもそれからわずか(!)13年後の2006年にもまた新作「SAILOVER」を♪ ここではさらにセルフ・カヴァーを増やして「シンズ・オブ・ア・ファミリー」(ルシンダ・ウィリアムスとデュオ♪)「明日なき世界」「ハロウィーン・マリー」「冷たい太陽」(これは嬉しかったー!グラス・ルーツの初ヒットやし)。。。しかし!私にとって(というか日本人にとって)最もあれなのは。。。「From A Distance」!そう邦題「孤独の世界」!もう40年ぶりの再レコーディング♪感激・感動も極まれりっちゅうとこでしたわ。 しかし日本でのみ大衆的なヒットになったにもかかわらず、この曲に関しては音楽ライターさんの原稿や洋楽好きの方々の熱いブログ等をこれまであれこれいろいろ拝見させてもろてますが検証してきっちり書かれたものがなかなか無くて(間違いも少なからず)。。。私しゃ前々からイラついとるんです!(以下また次回に) 「P.F.スローンはどこに」 2012年5月9日(水) 18時13分更新 - ポップス♪ 去年の春に日本でも初アルバムが出てたイギリスのルーマーちゃん、なかなかええ感じであれでしたけど5/30に出る新しいのがこれまた前以上にあれかもなぁと。「ボーイズ・ドント・クライ」(少年は暗くない、とちゃうで〜)は何せ往年?の男性シンガー・ソング・ライターの作品ばっかしを取り上げたカヴァー集というわけなんで気にならいでかい!!(ルーマーちゃんに関しては ジャンプ からプロフィールをクリックして下さいませ)。で、シングル・カット曲に私しゃおろろきましたがな。生涯気になる大好きなシンガー・ソング・ライターをテーマにしたジミー・ウェッブ(私らの世代は‘ジム’ウェッブやねんけどねぇ)の隠れた評判作「P.F.スローン」とはなぁ♪ジミーが尊敬するソング・ライターの先輩で才能あるP.F.スローンはどこでどないしてはんのやろか?最近音沙汰なしやし。。。ってな歌ですけどこれをば1971年にアメリカのアソシエイションが取り上げて同年2月にシングル発売(Warner Bros-7471)するもチャート・インせず(同年のアルバム「ストップ・ユア・モーター」に収録)。イギリスからもユニコーンという4人組(ビリー・ジョー・クレイマーのバックもしてたとか。ステファン・グロスマンにも認められたし)が同年7月にシングルを出すも(日本でも「P.F.スローンはどこに」の題でビクターから発売:JET-2078)チャートとは縁がなく、ごく一部のひとたちの間でだけ密かに語り継がれて来た曲ですが、その後、いつの間にか名曲としてクローズ・アップされるようになったようで(ジミー・ウェッブの再評価と共にかな)、後追いもええとこのルーマーちゃんも歌ってアルバムのオープニング曲で、しかもシングルとは。。。えらい時代になったもんですわ(嬉しいけどなんか自分だけのもんにしときたかったのになぁっちゅうあれもあるんで。。。)。 ルーマーちゃんのはこちゃらで試聴出来まっせ♪ ジャンプ作者ジミー・ウェッブのお歌はこっちでおます ♪ ジャンプちなみにルーマーちゃんの今回の新作内容は以下の通り♪( )内はオリジナル・アーティスト。 1.P.F.スローン(ジミー・ウェッブやアソシエイションなど)2.ビー・ナイス・トゥ・ミー(トッド・ラングレン)3.イット・クッド・ビー・ザ・ファースト・デイ(リッチー・ヘヴンズ)4.青春の旅路(ポール・ウィリアムスやアート・ガーファンクルなど)5.男は女が必要(ニール・ヤング)6.ソウルズヴィル(アイザック・ヘイズ)7.セイム・オールド・ティアーズ・オン・ア・ニュー・バックグラウンド(スティーヴン・ビショップ)8.ソウル・レベル(ボブ・マーリー)9.フライン・シューズ(タウンズ・ヴァン・ザント)10.ホーム・ソウツ・フロム・アブロード(クリフォード・T・ワード)11.ウィ・ウィル(ギルヴァート・オサリヴァン)12.マイ・クリケット(レオン・ラッセル)13.サラ・スマイル(ホール&オーツ)14.ジャスト・フォー・ア・モーメント(ロニー・レーン)15.アンドレ・ジョーレイ(ティム・ハーディン)16.ブレイヴ・アウェイクニング(テリー・リード)17.アイ・ウォナ・ルー・ユー(ヴァン・モリソン)* 日本盤のみのBonus Track 今回の「サラ・スマイル」(ホール&オーツ/1976:No.4)はここでも聴けますな♪ ジャンプしかし、ルーマーちゃんって私が思わず身ぃ乗り出してしまうようなカヴァーをこれまでに数々なにしてますなぁ(皆さん方も楽しんでちょうだいませ)。ローラ・ニーロやバカラック、カレン・カーペンターが好きやそうですわ♪ *ストーンド・ソウル・ピクニック(フィフス・ディメンション/1968:No.3) ジャンプ*ウェディング・ベル・ブルース(フィフス・ディメンション/1969:No.1) ジャンプ*ウェルカム・バック(ジョン・セバスチャン/1976:No.1) ジャンプ*雨にぬれても(B.J.トーマス/1970:No.1) ジャンプ*Withサンディ・ショウ「汽車と船と飛行機」(ビリー・ジョー・クレイマーWithザ・ダコタス/1965:英No.12、ディオンヌ・ワーウィック/1966:No.22) ジャンプ*Withエルトン・ジョン「ディス・マスカレード」(カーペンターズ/1973、ジョージ・ベンソン1976:No.10) ジャンプところで、ジミー・ウェッブが書いた「P.F.スローン」での呼びかけ?に応えるかのように当のご本人、P.F.スローンさんがその翌年(1972年)、シーンに復活しはったんですわ。「Raised On Records」(MUMS:KZ-31260)というLPを携えて。(次回に続く)。 ディック・セント・ニクラウスの真実。 2012年5月7日(月) 2時38分更新 - ポップス♪ 前回AORのことをあれした際、終わりの方でちょこっとなにしたんでやっぱりあれやと思いましてディック・セント・ニクラウスのことをば書き記しとこかなぁと。えっそれ誰なん?てなこと言うてるお方はすんませんが自分でネットとかで調べといて下さいね〜。いちいち一から説明しませんよ〜義務教育やないねんから!40代後半以降の世代ならまぁリアルタイムかと思いますが1980年に日本でだけオリコンNo.39という大ヒット(洋楽としては上出来♪)になったAOR系(というよりも歌謡曲みたいなタッチの曲調)の「マジック」でいっとき人気を呼んだアメリカのシンガー・ソング・ライターさんですわ(1960年代は「ルイ・ルイ」で有名なガレージ・ロック系のバンド、キングスメンのドラマー)。 1979年の秋。大阪ミナミの輸入盤店で評判になっている米EPIC発のレコード(LP)があるという話を聞きつけたCBSソニー(当時)大阪営業所の洋楽宣伝のお方(EPIC担当)が東京本社の上司と掛け合って全米では全く売れもせず本邦未発売だったそのレコードの国内発売を実現させたというあれですがそれだけでは「なるほど、そらよかったですな」で終わってしまいます。今もなお語り草になってるのは(私がいまだにこないしてネタにするのは)「まずは関西地区だけで限定発売しよう」というあれになったことですわ(アルバムの解説書きにも携わらせてもらいました〜♪)。企画・制作・販売のすべてを本社ではなく地方の営業所で取り仕切ったのは洋楽界では初めての試みということで当時、業界周辺ではえらい話題になり地元大阪(関西地区)ではラジオ局も全国紙(の大阪版)も地元の情報誌もレコード店も一体となってせ〜ので盛り上げました。 あの頃の大阪は大いに活気がありましたからね。関西のロック・バンドが「8.8.ROCK DAY」等を通過して続々メジャー・デビューを果たし、ライブハウスも活況を呈し、また紳助・竜介や明石家さんまなど新しい若手のお笑い芸人が興隆し始めてたし、映画では井筒和夫(のち和幸)がブレイク前夜、漫画ではいしいひさいちが‘タブチくん’でブレイク直後。。。「こっちゃから全国に発信するんじゃい!!」てなもんで大阪は文化・芸能の拠点として熱ぅなってましたからね。ディック・セント・ニクラウスの‘関西限定発売’はそんな空気にぴったりハマったということですわ。 あ〜っ詳しい説明をしてしもたがなもう〜。今ここに書いたようなことは2010年8月25日にソニー・ミュージックから紙ジャケット仕様で2度目の復刻が実現した際のライナーノーツ(これまた私が書いてまっせ〜♪)にたっぷり記してありますんで是非そちゃらを(サウンドや曲とかにはほとんど触れてませんけどね♪当時の状況を渦中にあって経験しましたんでそういうあれを中心に)と言いたいとこですけどすでに入手困難になってしもてるようで。。。日本でのみ1980年11月21日に発売されたディックのセカンド・アルバム「スウィート・アンド・ダンディー」も2001年12月19日に世界初CD化(こちゃらもライナー担当させてもらいました♪)された盤がとっくの昔に品切れとか。これも含めて是非是非再発売するべきでっせ!! AORとしては2枚目の方があれかなとは思いますが(当時TOTOのスティーヴ・ルカサーらがサポート)。 しかし「関西地区限定発売」ってホンマのとこはあれでして。。。シングル「マジック」と同名のアルバムが1月25日に同時リリース(関西地区だけで)されましてこれが大きな評判を呼んだことでいよいよ全国発売決定〜!!の運びとなりアルバムが3/15、シングルが3/21に全国のレコード店に並ぶという‘快挙’に。要するに「関西で火が付いて全国発売へ」と言うわけですが(これはライナーには一切書いてませんが)実は当初から全国で売る段取りをしてたということを当時日本発売の断を下した‘上司’やった野中はんが2006年11月21日付の自身のブログで‘暴露’してしまいはりまして。。。 ジャンプ すべての経緯が白日の下に晒されてしもてます〜〜(何をすんねんなもう〜野中はん!!)。まぁ言うたら関西地区限定という前例のないあれを仕掛けて業界で話題を煽り大きなプロモーションにつなげようという大胆な戦略やったというようなあれですわ。私しゃこのまま大阪の心意気をフィーチャーした‘ええ話’にしとことおもてあれしてたのに。。。ミもフタもおまへんがな〜(泣)。ちなみに当時東京在住の高校生で後に某レコード会社に入ったお方は「雑誌に出てた大阪のレコード店の広告に‘関西限定’なんて書いてあったので欲しくてたまらず通販で取り寄せたらほどなく全国発売って。。。高い郵送料を支払ったのにぃ〜(最初からわかってたらなぁと)」。泣いてはりましたで、野中はん(のちには同じ立場になったこともあってこの戦略を高く評価してはりましたけどね)。 2枚目のアルバムからカットされたシングル「OSAKA MOON」のライナーも書かせてもらいました。ヒットの火を付けてくれた大阪へのディックからのご恩返しとでも申しましょうか、義理堅ぅてええ人ですなぁ。ライナーの冒頭部分はこんなあれでした。 『花の浪花のど真ん中、道頓堀の橋の上、夜空に浮かぶは大阪MOON〜。うれしや新作、ディック・セント・ニクラウス!』。いや〜もう32年ほども前やけど永遠の名文でんな♪我ながらいつ読んでもシビレますわ。うっとり。 ついでに締め括りの部分もいっときまひょか〜。 『「月の法善寺横丁」「こいさんのラブ・コール」「雨の御堂筋」「大阪パラダイス」それに「大阪で生まれた女」…そして…「オーサカ・ムーン」。ポピュラー版の‘大阪ソング’誕生、万歳〜!』。 野中はん、すんまへん。全く売れんかったんは。。。ひょっとして私のせいかも(汗)。 AORといえば♪ 2012年5月6日(日) 0時50分更新 - 本♪ 今出てる芽瑠璃堂マガジン「ROOT」#008、皆さん方もう見はりましたか?今回は日本初のAOR専門レーベルとしてすっかり有名になった「COOL SOUND」 ジャンプ の大特集で主宰者である音楽評論家(ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員)、中田利樹大先生によるレーベル設立に至る経緯や発足時のエピソード(苦労話!?)、それに加えて自らの音楽的なルーツ、生涯の名盤〜音楽遍歴などなど普段のライナーノーツ等ではめったに読めないような記事があふれとりまして‘人に歴史あり’みたいなあれが好きな私しゃ興味深々で一気に読ませてもらいました〜♪(全174枚掲載のカタログ付き!!)。 ジャンプ しかし、そないイラつかせられることがあったんか!そんな葛藤の日々があったんか!ボヤキも入りぃ〜ので「今だからこそ」のザックバランな打ち明け話の数々。。。AORっちゅうと都会的でサウンドも小奇麗でご婦人のファンも多くてというイメージが思い浮かびますがその裏ではそんなしんどいあれがあったんかと。なんか立ち上げからすいすいとうまいことここまで来てるっちゅうあれがあったんですけど内情はそうでもなかったんやなぁと。 以前中田先生がやっておられた「Adult Oriented Radio」というラジオ番組(大阪の旧FM COCOLO発で第一興商「スターデジオ」でも放送。「スターデジオ」のスタジオで毎週収録)には私もゲリラ的に顔を出したり(「スターデジオ」では私も番組を受け持ってまして担当Dが一緒やったんで収録のスケジュールが連続してたりすると無理から押しかけたりして)しとりましたが真冬でも短パン姿でマイクに向かう中田先生のAORな美意識(!?)を目の当たりにさせられましたなぁ。 時にはどこでどないしてなにしたんかわかりませんがラジオ聴いてたら若いお女中(女子大生やったかな?)を何人かスタジオに引っ張り込んで♪わぁわぁとずいぶん楽しそうなひとときを過ごしておられたこともあったような。「AORってモテるんや♪ええわなぁ〜♪」と少々羨ましくも思ったものでごじゃりまする。私も旧FM COCOLOで中田先生と同期間番組をやらせてもろてましたがメールやFAXをくれはるリスナーさんの多くはアラフォ〜、アラフィフ〜な熟女はんでおまして。。。あっいやそれはそれでまたええ感じなんですけどね(汗)。40代、50代、お努めさせてもらいまっせ♪(何をやねん!)。 まぁAORといわれるレコードが日本で人気を呼び始めた30年ほど前はカー・ステレオ(カセット・テープ)にそういった音楽をダビングしてお女中を横に侍らせドライヴしながらええ雰囲気にさせて‘口説く’というスタイルがいっとき流行(?)しましたけど(若い時、そういうことしてたと告白するヤツが周りに何人もおりますわ)、中田先生はAORをそういうことのための小道具としてではなくて真正面から完成度の高い音楽として評価してより多くの人に聴いてもらおう、世に広めよう、また埋もれてる名曲音源を発掘しようという崇高なあれを抱いてCOOL SOUNDをなにしはったんでっせ。今回の原稿見てもろたらわかります。決してご婦人方にモテるからAORをっちゅうわけやないんです(別に強調せんでも。。。)。 自身が影響を受けたレコードとしてジャケット付きで紹介されてるアルバムを見ても実にあれですわ。レインボーやヴァン・ヘイレンにスターキャッスル(これシブイな〜♪そうそう私らは‘アメリカン・プログレ・ハード’とか言うてましたけど。CBSソニーからで担当Dは森下はんやったかと)。。。ギャングウェイにヴァレンシアもあるやんか。幅広いっちゅうか、いやそういうもんですからね。世間的なイメージが例えばAORの専門家であっても音楽的な経緯〜趣味はもっともっといろいろで幅広いですからね。そんなもん、当たり前ですがな。 1970年代後期、私があれこれお世話になってたモータウン・レーベルの担当でスティーヴィー・ワンダーとも親しくソウル系の看板ディレクターとしても知られたT馬さんがデスクのラジカセでボサノバとかジャズを聴いてはるのを見て「そんなん聴きはるんですか!?」って言うたら怪訝そうな表情で「何言ってんの?俺は普段こういうのよく聴いてんだから。気持ちいいよ」と。自分の勝手な思い込みを恥じたのを思い出しましたわ。 かくいう私も実はAOR、結構あれなんですよ(イメージないやろけど)。世間的にはそうか、解説を何回も書いた(言うてもシングル盤も含めて4回かな)ディック・セント・ニクラウスがあれかなぁ。ちょっとそのへんのことも改めてなにしとこかな。 それしにしても‘同業者’の‘仕事上の身の上話’ってそう読む機会がないんでなかなかにあれでしたわ。私なんかにゃとてもやれんようなしんどい作業をコツコツとやって来たっちゅうのは「先生」と呼んで尊敬に値するけど、よう考えたらこの業界では私の方が彼よりひと回り近くも先輩やった〜〜。 おい、中田―!これからもええもん出し続けなアカンぞー♪(急に変わってどないすんねん)。 |
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